第二章
戦争の放棄
第二章 戦争の放棄
第九条 @ 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は
武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
<第二章について>
言わずと知れた、日本が世界に誇る「平和主義」を強烈に示している、日本国憲法第ニ章第九条です。たった一条の為だ
けに一章設けられているのは、この章を含め二つだけです。この章をめぐっては、戦後から現在まで、本当に様々な解釈方
法や議論が展開されてきました。そして、その火種の中心にあるのはいつの時代も「自衛隊」の存在でした。
1945年8月15日、日本は終戦を迎えました。そして、二度と戦争の惨禍を繰り返しては成らない、平和を大切にしなけれ
ばいけないと考え、この章が出来上がりました。そう、この章は、4年間に及ぶ太平洋戦争での、国民220万人以上、さらに
近隣アジア諸国を含む全世界で1000万人以上の尊い犠牲の基に築き上げられた「平和の結晶」なのです。この国の有志
以来、絶えず繰り広げられてきた、「戦争」を放棄するという、極めて平和的な内容としてこの章は生まれたのです。
しかしこの素晴らしい理念とは裏腹に、冷戦は深刻化し、1950年6月、ついに朝鮮戦争が勃発しました。そしてそんな
中、日本国内にはGHQ指導のもと、「警察予備隊」が創設され、日本は再軍備化の道を歩みだしました。そして、それが後
の「自衛隊」へと発展し、冷戦が終結した今でも自衛隊は存在したまま、現在に至っているのです。果たして自衛隊の存在は
違憲なのでしょうか。そして、日本は侵略行為に対する自衛の為の交戦権までをも放棄しているのでしょうか。
もしこの世界から戦争が全くなかったら、当然軍事力なんて必要ないし、戦争の可能性が全くなかったら、戦争放棄を宣言
している条文なんてのも必要ない、ということになります。だから憲法でわざわざ戦争の放棄を宣言しているのは、この世に
戦争が勃発する可能性が存在するから、戦争の放棄を明文化して宣言しているんだと思います。自分の考えでは、残念なこ
とであり、また悲しいことですが、この世から戦争が無くなるなんてことは、最近の国際情勢を鑑みても、少なくとも今後50年
間はまだ難しいのではないかと思います。ということは、この憲法・条文は、日本が原因で戦争が勃発するような交戦権を放
棄しているのであって、日本が不当に他国に攻め込まれたときまでの交戦権すらも放棄しているということではないのだと思
います。よって自衛に必要な最小限度の兵力を装備することは、当然に認められて良いのではないかと考えます。
しかし、侵略行為に対する自衛権の行使だって、普通に考えたら国際紛争を解決するための戦争に該当する気がしますよ
ね。そんな時、以前の日本海不信船事件の時のように、国籍不明船が日本領域を侵略してきた場合、日本はただ指をくわえ
て見守っているしか手段はないのでしょうか。、仮に他国が、日本の領土を侵略してきた場合、5・15事件で暗殺された犬養
首相のように、「話せば分かる」と口で言っても、「問答無用」と射殺されてしまっては、何にもなりません。それこそ、この国の
平和主義という崇高な理念を、根底から否定する力に屈したことにはならないでしょうか。何よりもまだ残念ながら、日本の周り
には、(大きい声では言えませんが)ミサイルが日本上空を通過したり、恐ろしいスピードで爆走する漁船が日本領海に進入
してきたり、残念ながら色々と危険が存在していますよね?自分は侵略行為に対する自衛の為の交戦権まで否定するの
は、国際情勢を見た場合、非常に残念なことですが、まだ時期尚早ではないかな?と思います。
確かにおタカさんの言う、「護憲だ!」というのも分かります。あまりにも改憲を安易なものにしては、それもまた過去の過ち
を繰り返す恐れがあるのも事実です。おタカさんは、公務員の憲法擁護義務まで持ち出して、改憲論は既に違憲だと発言さ
れていました。確かに憲法第九九条で、公務員は憲法尊重擁護義務を負うと規定されていますが、しかし、第九章第九六条
で、国会が憲法改正発議を有していることも規定されているのだから、国会議員が憲法改正論を示すことは違憲ではないで
しょう。
その時代時代に合わせて柔軟に対応出来る法律こそが、国民の生活を守れるのであって、法律は、傷一つ付かないように
どこかに大事に飾ってあるような美術品でなく、江戸時代の普通の鍬から備中鍬が開発されたように、使い込んで使い込ん
で、時には改良してさらに使いやすくしていく実用品なのです。今のこの九条は、果たして現在の日本を取り巻く国際事情に
合致しているのでしょうか?管理人もこの第九条は、日本が世界に誇れる法律であることは、有無を言わさなぬ事実であると
思いますし、侵略の為の交戦権及び、自衛目的以外の交戦権が否定されることは、論ずる間でもなく、当然のことです。侵略
戦争から生み出されるものは、不幸のみであるということは、かつての日本がその身を持って学んだことです。
ところで、自分は絶対に自衛隊を軍と呼んではいけないと思います。確かに、国際的に他国の軍隊と、兵力のみを比べて
みれば、明らかに自衛隊は軍隊です。しかし、それでも自衛隊はあくまで自衛の為の隊、自衛隊だと思います。国際紛争を
解決する手段として交戦権を放棄している軍隊なんて、この世の中どこを探しても存在しませんし、自分の考えによる、自衛
権の為の交戦権だけを認めたとしても、侵略・報復・制裁行為を一切行わず、また、現役隊員が政治的権力地位に就く権利
も(文民の解釈は色々ありますが)ない軍隊など、他国のいわゆる「軍」とは明らかその性格に異なっていますし、何よりも、
日本軍の復活は、近隣アジア諸国の感情をあまりにも無視し、侮辱する行為であると思います。
自衛隊が仮に軍隊であるとしても、創立以来、一度も人を殺したことのない軍隊なんて、他に存在するのでしょうか?この
事実を見ても、戦後、日本がどれだけ平和な国を目指して生まれ変わったかということを証明しているし、この憲法の価値を
も証明しているような気がします。当然、他国が日本に攻めて来る可能性が(最近は低くなってきていますが)存在し、自衛隊
の存在が、侵略の抑止力にもなっているという事実からも、自衛隊は現在の日本にとってまだ必要な戦力であるとは思いま
すが、国防を任としている自衛隊が、憲法問題により活動出来なくては、これは宝の持ち腐れと言わざるを得ないと思いま
す。今後、自衛隊が日本の平和主義を守り抜く為に、しっかりとした防衛活動を行えるように改憲されることは、平和主義国、日
本の未来にとって必要なことだと思います。 勿論、自衛権に関してのみの、最小限度内です。よって、集団的自衛権につい
ては、まあ、国連憲章との兼ね合いもあるようですが、自分は認めるべきではないのではないかなぁ、って考えています。詳
しい内容はよく知りませんが。
戦後50数年、そろそろ第九条の解釈論にも限界が来ているような気がします。そして、これ以上の解釈論の発展は、憲法
が有名無実化する恐れもあると思います。有事のとき、平和を愛するこの国を脅かす勢力が襲来してきたときにのみ、最も妥
当な手段をとる事ができ、また、再び過去の過ちを犯す心配のないように改憲がなされることを祈っています。
解説は、あくまで通説判例を重視して、なるべく主観が入らないように気を付けて書いているつもりなのですが、この章だけ
はどうしてもテンション上がって100%持論に走ってしまいました。てゆうか、これはもう既に解説じゃないですね・・・。ここを
読んで、不快な気分を感じた方に対しては謝ります。どうもすいませんでした。他の章の解説では、こんなことはない(と思
う・・・)ので、どうか気を取り直して他のとこも見て行って下さい、ね?